いちご家誕生秘話

店舗の写真

こんにちは、
いちご家で女将をしている窪田敦子です。

ここでは、少しだけ当いちご家の誕生や、
今までの経緯、私たちのお客さまに対する
思いについてお話したいと思います。

いちご家のこれまでの歴史

これまでの歴史をご紹介した動画がございますので、ご覧ください。

父子家庭というハンデ

まずは、いちご家(旧苺館)を経営していくことになった、
私たち姉妹の原点ともいえる、幼少期について少しだけお話しさせてください。

家族構成は、両親、病弱で寝たっきりのおばあちゃん、
私たち姉妹2人でごく普通の家庭でした。

旧家で、まずまずの家柄でしたが
終戦後の農地改革とやらで土地もほとんどとられ取られ兼業農家となりました。
しかし両親の愛情を受けながら育っていきました。

小学生の頃

ところが、私が小学校1年生のころ、両親が突然離婚し、
父方に引き取られることとなり母とは、
生き別れで居所さえもわからい状態になりました。

その後は、男手ひとつで育てられてきました。
私がまだ幼かったため、姉が、幼い私の面倒を見ながら
病弱で寝たっきりのおばあちゃんも見なければならなくなりました。

姉であると同時にみんなの母となり、
私は姉の作ってくれるご飯が母の味として後には、
私の娘にも伝えていく料理となりました。

姉も幼いながら料理の好きであった母の記憶をたどりながら
だんだんに腕を上げ料理の数が増えて行きました。

姉の作るご飯はというと、
身内というひいき目を差し引いても本当においしかったです。

それは、料亭通いを続けていた父が、とにかく味に厳しい人でしたので
料理に関して姉はいつも父に厳しく指導されていました。

こんなもの食えるかーと、ちゃぶ台をひっくり返されたり
[星飛雄馬の父ちゃんか!]

「なんで煮つけに砂糖を使うんぞ!今治の魚は獲れたてじゃけん、
ごまかしはいらんのよ・・」と毎日の料理に厳しく罵声を飛ばされながら、
調理の難しさと楽しさを知って行きました。・・

父の声が今でも聞こえてきそうです。

姉、政美の料理の原点は、まさにここにあったといえるでしょう。
料理の専門学校にも行きたかったのですが、当時は女は大学なんぞ行かんでも
ええ・・とか言われた時代です。今も残念でなりませんね。

なので、田舎料理で専門家のようにこぎれいには作れないかもしれませんが
何となくほっこり安心できる味だと、自慢出来ると私は思っています。

姉は私が大人になるまで、いつもおいしい料理を
そして母の代わりにたくさんの愛情を注いでくれました。

姉ちゃん、ありがとう。
そんな生活の中で、姉は料理を誰かのために作ることが当たり前のようになり
好きになっていきました。

父も私たちに、これからは女も手に職を持ち仕事を持つ時代と
いつも口癖の如く言っていました。

そんなこともあったのでしょうか、姉は私に実家に帰って来るたびに
「あっちゃん、はよ帰ってきて一緒に仕事しよやあ~」なんて、
言ってくれっちゃって、(その当時は、まだ子供がいませんでしたからね)
今思い起こせば、その通りになってしまいました

でも、父は私の孫も、店も見ることもなく他界してしましましたが、、、
今も思いますが、私たちの今のこの姿を見せたらどんなに
喜んでくれていたでしょう・・・(涙)

幸せの頂点から絶望の淵へ

私は、母が出て行ってから寂しい思いをしていたのでしょうか早くに結婚しました。
大恋愛の末の結婚、しかも同じ学校の同級生だったせいもあり
校長先生にまで仲人をして頂いたりと絶好調な結婚生活でした。
しかし、若気の至りでしょうか、いろいろな事が人生起こることを結婚で学びました。

別れることになった23歳までに凝縮した人生を経験しました。
そして、離婚という結末を迎え、この時から子供には
大変な苦労を背おわすこととなります。

家族写真

それから長男を手放す羽目にも
なってしましました。

絶望の人生の始まりです。
現実は・・・
お金は?
仕事は?
子供たちは?
考えることはこれからの生活。

 

結婚も早かったため、事務仕事の経験しかなく、幼子(当時6か月の娘)を
抱えては事務仕事などなく、途方に暮れていました。

そんな時、姉の知人がスナックの従業員を探しているという事で
働かせてもらう事になりました。

私の学生時代は喫茶店に行くことも不良と言われ、
先生に注意されるような時代でした。
まして、お酒など飲んだこともなく事務員を1年で結婚退社、
その後、自営業の奥さんで他人と接する事も余りなく家の中の奥さんでしたので
不安で一杯でしたが、生活の事もあり覚悟して勤めることになりました。

今なら言えますが、毎日お客さんが来ませんようにと祈っていた時もありました。
今では考えられない事ですが(すみません汗)

色々なお客様がいました。
ある時、その筋の人に飲めないお酒を無理強いされ一気飲み!
それがきっかけで、人並みに飲めるようになったり、
幼い時から踊りに興味があったので
カラオケでたまたまリズムを合わせながら普通に振り付きで歌ったつもりが
その当時では珍しいことだったみたいで、
みるみる評判が広がりモテモテで大流行!(^^)!

何が当たるやら・・・それからと言うものカラオケ大会が流行り初めた時代だったので
大会の出場依頼や、慰問などで重宝がられ、引っ張りだこの良い時代でしたね~。

そして仕事の一方では

元夫に無理やり引き離された長男は、香川県と遠くに暮らしていました。
継母に育てられることとなり、複雑な家庭構成で5人兄弟になり、長男だけが継母と血が繋がっていないと言うことで虐待に近いことをされていたのです。

夜の仕事をしながらもその事が気にかかり
毎日飛んでいきたい気持ちを抑えながらお金を貯めては会いに行きました。

当時は高速道路も出来ていなくて車で3時間~4時間かかる香川県の息子に会いに、
夜の仕事が終わってそのまま朝5時ごろから次女(当時2歳)を
寝たまま車に乗せ香川へと急ぎました。

娘を連れて行くのは二人兄妹、親の都合で別れさせましたが、
あなたちは唯一血のつながった者同士忘れないで!と言う気持ちでいっぱいでした。
どんなことがあっても兄妹は離れてはならないのだ。強い気持ちでした。

会いに行く時も離れて暮らしている私の母に反対されました。
私が会いに行っていると向こうの親に息子が懐かないよと。

でも私は自分自身も親と離れ寂しい思いをし、
離れた時間はもう二度と取り戻せないと強く思っていました。
息子がもう来なくていいと言われるまではどんなに相手が
どこに逃げて行こうと探しだし、会いに行こうと決心していました。

逢いに行くとは言え、当たり前に会える訳もなく
家の近くに隠れては子どもが遊びに出るのを目を凝らし、
待ち伏せては偶然出てきたときに「ひろし お母さんだよ!」と、
声を忍ばせ呼び止め遊びに連れて行きました。
何故か相手の連れ子まで着いてきました。
なので、後でバレて叱られていたそうです(涙)

もちろん逢えない時もあります。
朝から夕方まで同じ場所で、ぐずる幼い娘をあやしながらひたすら待ち続け
息子に会える時を待ち構えていました。

逢えなくて帰らなければならない時の道中は涙が止まらず
夜道が霞んで見え危ない時もありました。

そんな時、幼い娘は助手席に乗りながら私の切ない気持ちを
察知していたのでしょうか、歌を大きな声で一生懸命歌ってくれました。 

しかし、私には神様がついてくれていたのでしょうか
赤い糸に導かれるように突然逢いに行っても嘘のように私の前に現れるのです。
私たち親子のこの行事は息子が中学生になるまで続きました。
それからは、友達を連れて泊まる事も出来るようになりました。

苺館(イチゴハウス)誕生

私が帰って来た時は姉も色々と苦労して幼子2人を抱えパートに出ていました。
そんな時でもやはり料理の好きな姉は調理場の裏方をしながらレシピを
メモしたり、支店を任されたりとその当時から腕を買われて重宝がれていました。

私もそんな姉を見ながら、もったいない人に使われていると
自分流の料理が出来ないし、解ってもらえないのではと色々と考えていました。

しかし、まだ二人には生活の余裕もなく昼は姉が働きに出て、
夜は私が働きに出るといった形で、
2人で力を合わせとにかくがむしゃらに働きました。

夜の仕事にも慣れ、沢山の友達が出来始めたある時、姉と話し合いました。
二人の子どもを、人並みに育てること、
そして私たちが叶わなかった大学に行かせてやるにはこのままでは難しいと、

苺館

姉と店をやってみよう!
二人なら絶対できると信じ【苺館】を開店すりることになりました・・・

なけなしのお金を二人で出し合った金額が30万!無理! 銀行にはもちろん相手にされず、色々夢を友人たちに相談した所

「お前らやったら絶対できる」
「姉ちゃんあっちゃん絶対して」と、

店での私たちのファンであったお客様や友達たちが背中を押してくれ、 女友達は無償でお店を切り盛りしてくれながら苺館は開店に漕ぎ着ける事が出来たのです。

 

お店の名前も、友人たちが必死に考え出してくれた、
たくさんの案の中から苺館(イチゴハウス)に決まりました。

いちごの漢字

苺は草冠にという字で構成されています。
姉が一番に気に入りました。

「母」の字

まさに、私は敦子の母!
優しい字に姉は一目で気に入り「苺館」と名づけました。

もちろん飲食店の経営は思ったほど簡単ではありません。
毎日が試行錯誤の繰り返しです。

姉は、料理を作ってはお客様に試食していただき、
お客様に好評だった料理は更に手を加え進化させて
看板メニューの開発をしていきました。

夜中にポスター禁止の壁にカレンダーの裏に宣伝文句を書いた紙を貼りまくり
夜に勤めていたお店のお客様にも沢山助けていただきながら
徐々に徐々に色々なお客様に知られるようになって行きました。

一度、食べていただければ 姉の料理の良さが解ってくれるはずと信じ・・
時には、お客様にも離婚しなければならなかった経緯など聞いて頂き、励まされ
泣いてもらったり、同じ思いの方達にはお互いに励ましあったりしながら

皆さんが応援してくれました。今でも感謝しています。

いちごの漢字

こんなこともありました。。。

子供たちを女手だけで育てていたので時には、怖い思いをしたこともありました。
夜の仕事と馬鹿にされたりもしましたが、
人並みにと子供には不自由させまいと頑張って来たつもりです。
仕事仕事で子供たちには寂しい思いをさせました。

ある時、店と住まいは車でも30分以上は掛かるところにありましたが
家に残された子供たちが、お母さんに会いに行こうと当時長男小学校4年
一番下が幼稚園と言う頃みんなリュックを背負い店まで・・
途中北鳥生町にあったおばあちゃんの家に寄りお菓子をもらい休憩してまた出発~
そんなこととは知らず私が仕事を終え夕方帰宅すると家には誰もおらず大慌て!

おばあちゃんの家に寄り事の重大さに気づき、通るであろう道筋を辿りながら
泣きながら探しました。当時は携帯もなく本当に心配しました。

そんな心配も子供たちはお構いなく店に辿りついていたのでした。
途中溝に落ちたりと少し怪我をしていながらも得意げに店についた子供たちを見て
どんなに愛おしく思ったことでしょう。

こんなに寂しい思いをさせているんだと心からすまないと泣きました。
しかし、どうしようもないのです。
歯車は回り始めお客様が店を頼ってくれていると思うと
このまま頑張るしかなかったのです。

お客さんのエピソードもありますよ。
常連さんがいつものように店に入りいつものように新聞を広げて読んでいました。

そこに大家さんが・・「あれ?お客さん 今日は定休日じゃない?!」
その当時、喫茶店と言う場所は家の延長みたいなもので
毎日というお客様が多かったですね(笑)

店の鍵が開いてるのも疑問ですが・・・

時が過ぎ、また、生き別れの母の病状の事もあり
面倒を見ることも兼ねて場所を北鳥生町に変わり隣の母を見ながら
昼は喫茶、夜はスナックで新たなお客様を迎えながら
お蔭様で順調に頑張って来たのです。

夜に勤めていたお店のお客様にもたくさん助けていただきながら
徐々に徐々にお客様に来ていただくようになりました。

いろいろな催しに積極的に参加し、地元のFMラジオ、EATテレビ、町内の音楽イベント、
施設慰問、NHKのど自慢に自称今治のアイドル(照...)として出場してきました。

テレビ放送

30年という節目。そして新たなチャレンジ

そんなこんなで、
苺館【イチゴハウス】」は30年を迎えることが出来ました!

そして、皆様の応援のお蔭で「苺館30周年記念パーティ」を行うことも出来、
生涯忘れえぬ思い出となりました。
皆様、本当にありがとうございました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

新聞掲載

時には叱責され、泣かされ、たくさんの辛いことがありましたが、
愛する子供と苺館を慕ってくれるお客様のため、とにかく走り続けてきました。
そんな私たちもそろそろ体力の衰えが・・
などと思うことが多くなり・・(見かけは、昔と変わらんのになあ~????)

今のままではいかん!
・・どぎゃんかせにゃならん・・

全く違う仕事もと、考えたこともありました。
姉とも色々と相談したりしながら

もっと、何かいい方法はないだろうか?
私たちに出来ることは何だろう。

私たちの根底にあった、
この世にたった1つしかない二人の共通の思いがそこにはありました。

それは、生前、父が話していた言葉でした。

手に職をつけんと・・女でも馬鹿にされん仕事みつけなにゃ~
そうすれば何かあっても食べていけるんぞ
父は、若くして癌で亡くなりましたが、それを察知してか私たちには
親がいなくても生きていく術(すべ)を教えてくれていたのでしょうか・・・

希望の灯

私たちが持っている唯一、無二の2つの武器を使い、
私たちにとっての第3の店を始めようと決心したのです。

これからやろうとすることは私たち姉妹の最後の仕事だと思っています。

この年になって、ますます鞭を震わせなければなりませんが
皆様に助けられながら、そして応援して頂きながら、それを励みに
今まで通りコツコツ頑張って行きたいと思っています。

私たち姉妹の2つの武器と言えば唯一の姉のほっこりとした料理と
賞味期限切れわずかでも頑張っている【敦子パワーです(#^.^#)】

一人でも、そしてご家族でも友人たちでも遠慮なく来て頂ける店

店の女の子たちや板さん(店では板ちゃんと呼んでますが・・笑)たちと
厨房であまり目立たない姉にも気軽に「姉ちゃん来たよ」
声を掛けて頂きながら楽しく飲んでおいしく食べれる店を目指したいと思っています。 

スタッフ写真

大切なお客様とゆっくり接することができない

店を少し大きくしたのでお客様との距離が少し遠くなり
姉の料理と私の接客が売りのお店だったのに、それでは意味がありません。

何とかして、この問題点を解決しようと、姉と何日も打ち合わせをして考えました。

そうか、人という財産とそのレバレッジをうまく使えばいいんだ。

まずは、従業員を募集して、その人をしっかり育てていこう
私たちの目指している店を伝えてみんなで共に仕事を頑張ってもらう事で、
私たち姉妹が大切なお客様1人1人に接する時間を確保することができれば、
この問題点を何とか解決できるのではと考えました。

このようにして、
姉と2人でそして、従業員とお客様とで一緒に作り上げてきた苺館は、
この度、「いちご家」としてリニューアルいたしました。

姉ちゃんの真心こもった愛情たっぷりの手作り料理と、
名物女将の個性豊かな超絶トーク(照)でお客様もギャグを突っ込んでもらいながら
心も体も満たしてはいかがでしょうか。

「いちご家」へ是非一度足をお運びください。
あなたのご来店、心よりお待ちしております。

いちご屋

0898-32-8613 営業時間 11:00~14:30/17:00~24:00 (木曜定休)